私たちはしばしば、感情を「心」や「頭」だけで起こる、どこか非物質的な現象として捉えがちです。そして、悩みやストレスを解消しようとする時、カウンセリングを受けたり、本を読んだりして、思考の力で問題を解決しようと試みます。これらのアプローチはもちろん有効ですが、それだけでは届かない領域が存在することも、また事実です。言葉にできなかった、あるいは意識にのぼることさえ許されなかった感情は、一体どこへ行くのでしょうか。その答えは、私たちの「身体」にあります。
身体は、あなたが経験したすべての出来事、特に強い感情を伴う体験を、驚くほど正直に記憶しています。それは、単なる比喩ではありません。近年のトラウマ研究や神経科学の分野では、未消化のまま残された感情的エネルギーが、筋肉の慢性的な緊張、特定の姿勢の歪み、呼吸の浅さ、あるいは内臓の不調といった、極めて物理的な形で身体組織に「記録」されることが明らかになっています。肩に重くのしかかる責任感、胸を締め付ける悲しみ、腹の底に溜まった怒り。これらは、私たちの身体が語る、声なき物語なのです。
この智慧は、何千年も前から東洋の身体観の中に存在していました。例えば、気の思想では、強い感情のストレスは「気結(きけつ)」、すなわち気の流れの結び目や滞りを生み出すと考えられています。このエネルギー的なブロックが、やがて物理的な「凝り」や「痛み」として顕在化するのです。身体は、私たちの感情的な健康状態を映し出す、最も信頼できる鏡に他なりません。
であるならば、感情を解放するためのアプローチは、頭で考えるだけでなく、身体そのものに働きかけることが不可欠となります。そして、そのための最も洗練されたシステムの一つが、ヨガのアーサナ(ポーズ)です。ヨガのアーサナは、単なる筋肉のストレッチやエクササイズではありません。それは、身体に蓄積された感情の記憶にアクセスし、その解放を促すための、極めて効果的なボディワークなのです。
例えば、股関節周りには、古くからの悲しみや、性的トラウマ、創造性に関するブロックが溜まりやすいと言われています。鳩のポーズ(エーカ・パーダ・ラージャカポターサナ)や、合せきのポーズ(バッダ・コナーサナ)といった股関節を深く開くポーズを、呼吸と共にゆっくりと行っていくと、予期せぬ悲しみがこみ上げてきたり、忘れていたはずの過去の記憶が蘇ってきたりすることがあります。また、胸を開く後屈系のポーズ、例えばコブラのポーズ(ブジャンガーサナ)やラクダのポーズ(ウシュトラーサナ)は、私たちが自己防衛のために閉ざしてしまった心(アナーハタ・チャクラ)を物理的に開き、抑圧していた喜びや愛、あるいはその裏側にある深い傷つきを表面化させるきっかけとなり得ます。
ヨガの実践中に、もしそのような感情の波が訪れたなら、それを恐れたり、無理に押し戻したりする必要はありません。それは、あなたの身体がようやく安全だと感じ、溜め込んでいたものを手放す準備ができたという、素晴らしいサインなのです。その感情を歓迎し、ただ寄り添い、そして、吐く息と共に、そのエネルギーが身体から流れ出していくのをイメージしてみてください。
頭は嘘をつき、物事を合理化し、記憶を改ざんすることさえあります。しかし、身体は嘘をつきません。理性が忘却の彼方へと追いやったことも、身体は正直に、そして忠実に記憶し続けています。その賢明な器に深く耳を傾け、動きと呼吸を通して対話すること。それこそが、私たちの最も根深い部分に横たわる感情を解放し、真の癒しと統合へと至るための、王道なのです。あなたの身体は、あなたが思っている以上に、多くのことを知っています。


