なんでこんなに買ってしまったのか問題。モノの洪水から、魂の「空(くう)」へ還る

365days

なぜ、私たちはこれほどまでにモノを溜め込んでしまうのでしょうか。
ふと部屋を見渡した時、「なんでこんなに買ってしまったんだろう」と呆然とした経験は、誰にでもあるはずです。

セールだったから。
流行っていたから。
いつか使うかもしれないと思ったから。
ストレス発散でポチってしまったから。

理由は無限にありますが、結局のところ、使われていないモノたちは、家のどこかで静かに埃をかぶり、私たちのエネルギーを奪っています。
今日は、この「なんで買ってしまったのか問題」について、現代社会の病理と、ヨガ的な視点から少し深く掘り下げてみたいと思います。

 

使わないモノは、間違えて家に来てしまった迷子たち

シンプルに言いましょう。
使わないモノは、いらないモノです。
厳しいようですが、これが真実です。

モノの使命は「使われること」にあります。
お皿は料理を乗せるために、服は着られるために、アートは眺められて心を潤すために存在しています。
もし、戸棚の奥で何年も眠っているお皿があるなら、それはお皿としての機能を果たしていません。ただの「陶器の塊」として、そこの空間を占拠しているだけです。

それらは、たまたまご縁があってあなたの家に来たけれど、本当は来るべきではなかった「迷子」なのかもしれません。
あるいは、過去のある時点では必要だったけれど、今のあなたにはもう役目を終えた「卒業生」なのかもしれません。

だからこそ、「今までありがとう」と感謝して手放すのです。
それが、モノに対する最大の敬意であり、あなた自身に対する優しさでもあります。

 

私たちはなぜ、穴埋めをするように買ってしまうのか

現代社会は、私たちに「不足感」を植え付けるのがとても上手です。
「これを持っていないと幸せになれませんよ」
「これを買えば、あなたはもっと素晴らしい人間になれますよ」
広告やSNSは、24時間休むことなくそう囁きかけてきます。

私たちがモノを買ってしまう本当の理由。
それは、モノそのものが欲しいのではなく、そのモノを手に入れた時に得られるであろう(と錯覚している)「安心感」や「高揚感」、あるいは「新しい私」を買おうとしているからです。

心のどこかに空いた小さな穴。
寂しさ、不安、退屈、自己否定。
その穴を埋めるために、私たちはポチります。
しかし、物質で心のスリットを埋めることはできません。
買った瞬間の一瞬の高揚感はすぐに消え去り、あとには「使わないモノ」と「罪悪感」、そして「変わらない私」だけが残るのです。

ヨガ哲学では、これを「アヴィディヤー(無知)」と呼びます。
自分の外側に幸せがあると思い込み、内側にある本来の充足(サントーシャ)を見失っている状態です。

 

すべてを出して、並べて、直視する

では、どうすればこのループから抜け出せるのでしょうか。
まずは、現状を直視することです。
見えないモノは、無いのと同じです。でも、無意識の領域には確実に存在し、あなたの脳のメモリを食い潰しています。

こんまり先生もおっしゃるように、まずは「全部出す」ことです。
クローゼットから、引き出しから、すべてのモノを床に広げて並べてみてください。
壮観でしょう。そして、少しゾッとするかもしれません。
「私一人を生きさせるために、これほどのモノが必要だったのか?」と。

その圧倒的な量(カオス)を目の当たりにすることで初めて、私たちは正気に戻ることができます。
「なんでこんなに買ってしまったのか」という問いが、身体感覚として腑に落ちるのです。
この「気づき」こそが、変化への第一歩です。

 

手放すことは、エネルギーのパイプ掃除

使わないモノを手放すこと。
売ってもいいし、譲ってもいいし、感謝して捨ててもいい。
その方法は、あなたの心が一番軽くなるものを選べばいいでしょう。

重要なのは、モノが減ることで「空間(スペース)」が生まれるということです。
ヨガでは、空間(アーカーシャ)こそが、新しいエネルギーが流れ込む場所だと考えます。
部屋がモノで詰まっていると、気(プラーナ)の流れが滞ります。
それはまるで、血管が詰まっているような状態です。

モノを減らすことは、家の血管掃除です。
流れが良くなれば、当然、運気と呼ばれるものも巡り始めます。
やりたいことが明確になり、フットワークが軽くなり、直感が冴え渡る。
引越しをすると運気が上がると言われるのは、強制的にモノを選別し、大きなエネルギーの循環を起こすからです。

 

目指すはスナフキンのような軽やかさ

私自身、まだまだ修行の身です。
「ノマドくらい身軽に」と息巻いていた時期もありましたが、気づけばまた少しずつモノが増えていることもあります。
目指すは、リュック一つで旅するスナフキンのような境地。(本当になれるかはさておき、志は高く持っていたいものです)

今、私がチャレンジしているのは「収納をスカスカにすること」。
収納スペースがあるから、モノを入れたくなるのです。
ならば、あえてスカスカにしておく。
その「空白」を、不安ではなく「贅沢」として味わう練習です。

モノを持たないということは、過去への執着を手放し、未来への不安を手放し、ただ「今、ここ」にある自分自身だけで勝負するということです。
それはとても勇気がいることですが、同時に、震えるほど自由なことでもあります。

「なんで買ってしまったのか」と自分を責める必要はありません。
その経験さえも、手放す喜びに気づくためのプロセスだったのですから。
さあ、まずは引き出し一つから、風を通してみませんか。

ではまた。

 



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。