もしも人生がゲームであるならば。苦しみを喜びに変える東洋の「リーラ」哲学

365days

毎日を懸命に生きていると、いつの間にか視野が狭くなり、目の前の出来事を深刻に捉えすぎてしまう瞬間があります。仕事のプレッシャー、人間関係の摩擦、将来への不安など、人生のあらゆる要素が重苦しい重荷のように感じられることもあるでしょう。

しかし、少し視点を変えて、もしもこの人生が壮大なバーチャル・リアリティの「ゲーム」であるとしたらどうでしょうか。私たちは一歩引いて、自分の置かれた状況をもう少し客観的に、そして軽やかに眺めることができるはずです。

実はこの「人生はゲームである」という捉え方は、現代特有の比喩ではなく、何千年も前から東洋思想が大切にしてきた本質的な宇宙観に他なりません。ヨガ哲学の智恵を借りて、ゲームとしての人生を軽やかにプレイする秘訣を紐解いてみましょう。

 

宇宙は神々の遊戯。東洋のリーラー哲学

インドの古い哲学には、「リーラ(Lila)」という極めて美しい言葉が存在します。これは日本語で「神聖な遊戯(ゲーム)」や「宇宙的な遊び」と訳される言葉です。

東洋の智恵において、この世界は苦行や修行の場であると同時に、大いなる存在が創造した壮大なゲームの舞台でもあると考えられてきました。私たちが現実だと思い込んでいるこの世界は、ヨガ哲学では「マーヤー(幻影・バーチャルリアリティ)」と呼ばれます。ゲームのグラフィックがどれほどリアルであっても、それがプログラムに過ぎないように、私たちの生きる世界もまた、変化し続ける一種の舞台装置のようなものなのです。

リーラの思想は、人生を投げやりに生きるニヒリズム(虚無主義)とは根本的に異なります。むしろ、「これはゲームなのだから、目の前の勝敗に一喜一憂しすぎず、プレイそのものを徹底的に楽しもう」という、究極の能動性を秘めた教えと言えるでしょう。

 

プレイヤーとキャラクター。プルシャとプラクリティの構造

ヨガの古典的なサーンキヤ哲学では、世界を「プルシャ」と「プラクリティ」の2つに分けて定義します。ここで、初心者の方向けにこの難解な専門用語をゲームに例えて明確に整理してみましょう。

プラクリティとは、ゲームの「キャラクター(アバター)」や「ステージ環境」、そしてキャラクターが持つ「心や感情」のすべてを指す概念です。あなたの肉体、職業、社会的立場、さらには日々のイライラや不安といった感情すらも、すべてはプラクリティ(アバター)の一部と言えます。

一方でプルシャとは、コントローラーを握って画面の前に座っている「プレイヤー(純粋観照者)」そのものです。私たちは日常生活の中で、あまりにもアバターに感情移入しすぎているのではないでしょうか。

ゲームの中でアバターが敵に倒されたからといって、画面の外にいる本物のあなたが傷つくわけではありません。しかし、アバターと自分を完全に同一視してしまうと、キャラクターが苦しむたびに、プレイヤー自身も激しい痛みに引きずられてしまうのです。ヨガの目的は、このアバター(プラクリティ)の動きを静め、自分が本来はコントローラーを握る静かな観察者(プルシャ)であると思い出すことと言えるでしょう。

 

インベントリを空にする。アバターを軽くするミニマリズム

多くのロールプレイングゲーム(RPG)では、キャラクターが持てるアイテムの量(インベントリ)に制限が設けられています。重すぎる武器や不要な道具を抱え込みすぎると、アバターの動きが鈍くなり、敵の攻撃を避けられなくなってしまうからです。

これは私たちの現実生活における「ミニマリズム」の思想と完全に一致しています。現代社会を生きる私たちは、社会的地位、他人からの評価、物質的な所有、そして過去のこだわりといった無数の重荷をカバンに詰め込みすぎているのではないでしょうか。

「もっと装備を強くしなければ生存できない」という恐怖心は、クレーシャ(苦しみの原因となる煩悩)を肥大化させます。カバンが重くなればなるほど、フットワークは重くなり、ゲームとしての人生を楽しむゆとりは失われていくでしょう。

本当の豊かさとは、アバターにたくさんの装備を施すことではなく、余計なアイテムを徹底的に手放し、身軽にフィールドを駆け回ることにあります。不要な執着を引き算していくことで、私たちはアバターの「本当の軽さ」を取り戻すことができるのです。

 

スコアに執着しない。カルマ・ヨガとサントーシャ

ゲームをプレイする上で、スコア(得点)や順位を競うのは一つの楽しみです。しかし、ランキングの順位だけに執着し、1位になれなければ不幸だと感じてしまうなら、それはもはや遊びではなく苦役に変わってしまいます。

ここで重要になるのが、ヨガの「カルマ・ヨガ(無私の行為)」という教えです。カルマ・ヨガとは、行為の結果(スコアや報酬)に執着せず、目の前の行為そのものに没頭する生き方を指します。

私たちは行動する権利は持っていますが、その結果がどうなるかを完全にコントロールすることはできないのです。結果に対する過度な期待を手放し、「今この瞬間のプレイ」に全精力を注ぐとき、私たちは本来のクリエイティブな力を発揮できるでしょう。

また、ゲームの現在の状況がどのようなものであれ、それをありのままに受け入れる「サントーシャ(足るを知る)」の姿勢も欠かせません。たとえ初期装備しか持っていなくても、今ここの難所をどう乗り越えるかという工夫そのものが、ゲームの醍醐味であると観ずるのです。

 

コントローラーを置く時間。SIQANというポーズボタン

ゲームがどれほど面白くても、24時間ぶっ続けでプレイしていれば、プレイヤーの目も身体も限界を迎えてしまいます。時には「ポーズボタン」を押し、コントローラーを置いて画面をオフにする時間が必要です。私たちの日常生活において、このポーズボタンを押す行為に該当するのが、まさに瞑想という時間なのです。

EngawaYogaでは、身体をユルユルに解きほぐした状態で、ただ静かに座る「SIQAN(シカン)」という瞑想を提案しています。SIQANとは、難しいテクニックや思想を排し、ただ「今ここに在る」という静寂に浸る日本一簡単な瞑想アプローチです。

座っている間、私たちはアバターの操作(思考、計画、反省)を一切停止します。画面を見つめるのを止め、ただコントローラーを置き、本来のプレイヤーである「プルシャ」として沈黙の内に休息するのです。

この一時停止の時間があるからこそ、私たちは再びゲームの世界へ戻ったときに、新鮮な気持ちで軽やかにプレイを再開することができます。都会の喧騒の中でこそ、このポーズボタンを意図的に押す知恵が、私たちの意識をクリアに保ち続けてくれるでしょう。

 

終わりに:軽やかに、しかし真剣にプレイする

人生がゲームであるならば、私たちは失敗を恐れる必要がなくなります。失敗とは、ゲームオーバーではなく、単なる「データ収集」であり、次のステージへ進むための貴重な経験値に過ぎないからです。深刻さを手放し、ユルユルとした軽やかさを持って目の前の課題に対峙してみましょう。

ただし、ゲームだからといって、いい加減に投げやりにプレイするのは少しもったいないと観じます。ルールを理解し、アバターを大切に扱い、他者というマルチプレイの仲間たちと調和しながら、この「今」というゲームステージを真剣に味わい尽くすこと。それこそが、東洋思想が私たちに示してくれる、人生という名の素晴らしいリーラー(遊戯)の遊び方なのです。

あなたの人生のコントローラーを、誰かに明け渡すのはもう終わりにしましょう。自らの意志で主体的にボタンを押し、この美しいゲームの世界を、今日もまったりと楽しんでいきたいものです。



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。