人を説得する必要はない。
気づいていった人も説得する必要はないことを知っています。
だから、そもそも気づいている人は説得しない。
説得する対象がそもそもいないからです。
誰もいないのですよ。
この世界には誰もいない。
全部が私。
私が全部。
だから説得する必要も、説得される必要もない。
空っぽ
全部空っぽです。
世界は空っぽ。
何もないのです。
何もしていないし、何も起こっていない。
必要なことは空っぽであることを知っていること。
知ることではなく知っていることを思い出すこと。
ただ、学んだことを捨てていくこと。
そうすれば空っぽであることがわかってくる。
空っぽだから、そこに無限がある。
空っぽは無限。
無限は空っぽ。
空っぽを体感できる、いますぐに。
いまここで。
目覚める
目覚めると絶えず学んだことがなくなっていく。
どんどんなくなっていくのではない、突然に消滅してしまう。
学んだことが、そのまま空っぽになる。
何も達成することもなく、ただ生きていく。
達成すべき対象がそもそもなかった。
達成するということを遊ぶ人もいるかもしれない。
遊びもまた目覚めると、そのままに起こる。
周りからはわからない。
見分けがつかない。
あーじゃこーじゃといういう人はたくさんいる。
目覚めていても、目覚めていなくても、起こることが起こっているだけだから。
学ぶべきものもないことを知っている
気づいている人は、学ぶべきものもないことも知っています。
全てを知っているからです。
全てはもうあるから。
すでにすべてがある。
いまここにすべてがある。
過去も現在も未来もすべてここにある。
得るものもなく、失うものもない。
学ぶもないし、学んだこともない。
そのように気づきが起こる。
いつもの日常がスタートする。
終わりに:死ぬこと、生きること
それは、死ぬことはないと言います。
それは、生きているというものでもない。
それは、生まれることもなく死ぬこともない。
終わりもなく、始まりもない。
ただただある。
無限でもない、空でもない。
無限でもあるし、空でもある。
至福とも言われるそれは、私である。