【自己の「資本化」と際限なき労働化】
現代において、身体は単なる肉体ではなく「人的資本(Human Capital)」と見なされます。
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身体のメンテナンスが「投資」になる: ジム通い、ヨガ、美容医療、健康的な食事。これらは「心地よさ」のためではなく、将来的な生産性維持や市場価値向上のための「投資」として語られます。身体を休めることさえ「回復(リカバリー)」という名の、次の労働のための準備活動になります。
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24時間営業の身体: SNSによって、私たちの身体はプライベートな時間も含めて常に「見られる可能性」に晒されています。寝ている時間以外、私たちは「魅力的な私」を演じ続けなければならない、終わりのない感情労働と美的労働に従事させられています。
もくじ.
「交換価値」による「使用価値」の駆逐
マルクス経済学の用語を借りれば、身体の価値が大きく変質しています。(間違ってるかも)
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使用価値(Use Value)の喪失: 「歩く」「呼吸する」「味わう」といった、身体が私にもたらす直接的な喜びや機能(使用価値)が軽視されています。
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交換価値(Exchange Value)の肥大化: 代わりに、「SNSでいいねが何個つくか」「マッチングアプリでどれだけモテるか」「ビジネスで信頼される見た目か」という、他者や市場との交換における価値(交換価値)だけが重視されます。
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結果としての空虚: どんなに見た目が美しくても、本人が身体的な充足(よく眠れる、ご飯が美味しい)を感じていなければ、それは「高価だが中身のない箱」と同じです。現代人の多くが抱える虚しさはここに起因します。
コンプレックス産業による「欠落」の捏造
消費社会は、満たされた人間には商品を売ることができません。したがって、常に「不足」を作り出す必要があります。
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理想像のインフレ: 広告やメディアは、画像加工された「到達不可能な理想の身体」を絶えず提示します。これにより、私たちは常に自分の身体を「不完全なもの」「修理が必要なもの」として認識させられます。
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パーツごとの商品化: 「毛穴」「二の腕」「歯の白さ」。身体をバラバラのパーツに解体し、それぞれに「改善すべき問題」を設定することで、無数のコンプレックス産業(美容、ダイエット、整形)が成立しています。
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不安のマーケティング: 老い、肥満、体臭などを「生理現象」ではなく「自己管理の失敗」「恥ずべきこと」として再定義し、不安を煽って解決策(商品)を買わせるマッチポンプ構造が完成しています。
アイデンティティの「外部化」と承認依存
身体を商品として扱うことは、私たちのアイデンティティ(自己同一性)を危険に晒します。
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他者のまなざしへの隷属: 商品の価値を決めるのは、売り手(私)ではなく買い手(他者・市場)です。身体を商品化するということは、自分の価値決定権を完全に他者に委ねることを意味します。
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承認という麻薬: 「いいね」や称賛という形の承認は、一時的な快楽を与えますが、それは麻薬と同じです。耐性がつき、より強い刺激(より過激な露出、より完璧な加工)を求め続け、精神を摩耗させます。
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主体性の喪失: 「私がどうありたいか」よりも「どう見られるか(どう売れるか)」が優先され、自分自身の人生の主役であることを放棄してしまいます。
ヨガやウェルネスの「共犯関係」
皮肉なことに、本来これらに抵抗すべきヨガやウェルネス産業も、この構造に加担しています。
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「丁寧な暮らし」という記号消費: ヨガウェアやオーガニック食品は、それ自体が善である以上に、「私は意識が高い消費者である」という記号として消費されています。
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スピリチュアリティの商品化: 「ありのままの自分」というスローガンさえも、「ありのままになるためのワークショップ」「自己肯定感を高めるジュエリー」といった商品の宣伝文句に使われ、消費のサイクルに回収されています。
結論:身体を「私」の手に取り戻すために
この「商品としての身体の消費」という巨大なシステムから降りるためには、私たちは内田樹氏が言うような「身体の感度」を取り戻す必要があります。
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「見られる身体」から「感じる身体」へ: 鏡を見る時間を減らし、目を閉じて内部感覚に集中すること。市場価値ではなく、私の身体が今、心地よいかどうかだけを基準にする。
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「生産性」の放棄: 何の役にも立たない時間、ただぼーっとする時間、ダラダラする時間を肯定すること。投資ではない、純粋な浪費としての休息を取り戻す。
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贈与としての身体: 身体を売る(交換する)のではなく、誰かのために手を使う、隣に座る、微笑むといった「贈与」のために使う。
身体は、ショーケースに並べる商品ではありません。それは、私たちがこの世界を生き、風を感じ、誰かと手を繋ぐための、かけがえのない「神殿」なのです。私たちは、その鍵を再び自分の手に取り戻さなければなりません。


