言葉が生まれる前の静けさに、耳を澄ます – 阿字観瞑想という、ささやかで深遠な旅

MEDITATION-瞑想

私たちは日々、無数の言葉の海を泳ぎ、情報の波に揉まれています。スマートフォンを開けば、世界中の出来事が瞬時に流れ込み、誰かの意見や感情が絶えず表示される。それは時に、刺激的で便利な世界ではありますが、ふと立ち止まると、言葉というフィルターを通してしか世界を見ていない自分に気づかされることはないでしょうか。まるで、分厚い辞書を片手に風景を眺めているかのように、私たちは言葉で切り取られた断片的な現実を、世界のすべてだと思い込んでいるのかもしれません。

そんな現代において、日本の密教、とりわけ真言宗に伝わる阿字観(あじかん)瞑想は、私たちに「言葉以前の世界」の静けさを思い出させてくれる、貴重な水脈のように感じられます。それは、派手なパフォーマンスや劇的な効果を謳うものではありません。むしろ、縁側で静かに庭を眺めるような、日常の中にそっと溶け込む、ささやかで深遠な営みなのです。

 

「ア」の声に、宇宙の胎動を聴く

阿字観瞑想の核心は、梵字(サンスクリット文字)の「ア」(अ)の字を観想することにあります。「ア」という音。それは、私たちがこの世に生を受けて、最初に発するであろう産声にも似た、最も根源的な響きなのではないでしょうか。口を自然に開けば、そこから漏れ出るのは「ア」の音。あらゆる言語、あらゆる音韻の母胎とも言えるこの一音に、古の人々は宇宙の始まり、万物の生命力の源泉を見出しました。

阿字本不生(あじほんぷしょう) という言葉があります。これは、密教の重要な教えの一つで、「ア」字は本来、生じたり滅したりするものではない、永遠不変の真理そのものである、という意味です。私たちが日常で使う言葉は、常に何かを指し示し、分別し、価値判断を下します。しかし、「ア」の音は、そのような限定的な意味付けから解き放たれた、純粋な存在の響き。それは、良い悪い、好き嫌いといった二元論的な思考が生まれる以前の、広大無辺な「いのち」そのものの振動とも言えるでしょう。

この「ア」字を、清らかな月輪(がちりん)と蓮華(れんげ)の上に観想する。それは、まるで夜空に浮かぶ満月をただ静かに眺める行為にも似ています。私たちは月を見て、「あれは月だ」と認識する以前に、ただその光の柔らかさ、静謐な存在感に心を打たれるのではないでしょうか。阿字観は、そのような「わかる」以前の、「感じる」という原初の体験へと私たちを誘うのです。

 

呼吸という小舟に乗り、内なる静寂の海へ

阿字観瞑想の実践は、まず姿勢を整え、呼吸を調えることから始まります。これは、多くの瞑想法に共通する入り口ですが、阿字観における呼吸は、単なる準備運動以上の意味を持つように感じられます。

調息(ちょうそく) – 息を調えること

私たちは普段、無意識に呼吸を繰り返しています。しかし、その呼吸は、感情の波立ちや思考の喧騒によって、浅く、速くなりがちです。阿字観においては、まずこの「風」のように乱れがちな呼吸を、静かで深い湖面のように調えていきます。ゆっくりと息を吸い込み、そして、さらにゆっくりと、細く長く息を吐き出す。この吐く息に意識を集中することで、私たちの心は次第に落ち着きを取り戻し、身体の緊張も解き放たれていくのです。

それはまるで、荒れ狂う海原を航行していた小舟が、穏やかな入り江にたどり着き、静かに錨を下ろすような感覚かもしれません。そして、この静まった呼吸こそが、「ア」字の観想へと私たちを運ぶ、信頼できる小舟となるのです。

真言宗の開祖である弘法大師空海は、「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」の中で、宇宙の真理は声や文字を通して顕れると説きました。私たちの呼吸もまた、宇宙のリズムと響き合う一つの「声」であり、その息づかいの中にこそ、言葉では捉えきれない実相が宿っているのかもしれません。

 

月と蓮華 – 心の風景を映す鏡

阿字観瞑想では、「ア」字を白い満月(月輪)の中に、そしてその月輪を八葉の蓮華(はちようのれんげ)の上にあると観想します。これらのシンボルは、私たちの心の奥深くにある何かを、静かに映し出す鏡のような役割を果たすのではないでしょうか。

  • 蓮華(れんげ) – 泥中の清浄

    蓮の花は、仏教において非常に重要な象徴です。泥水の中から生まれ育ちながらも、その汚れに染まることなく、清らかで美しい花を咲かせます。これは、煩悩や苦しみに満ちたこの世(娑婆)にあっても、私たちの心の本性は本来清浄であり、仏性(ぶっしょう:仏と成りうる可能性)を宿しているという教えを体現しています。

    阿字観で蓮華を観想することは、私たち自身の内なる可能性、困難な状況にあっても失われない心の輝きを再認識する作業と言えるかもしれません。それは、自己肯定という言葉では軽すぎる、もっと根源的な生命への信頼を取り戻すプロセスではないでしょうか。

  • 月輪(がちりん) – 円満なる覚り

    満月は、欠けることのない完全性、円満なる智慧、そして闇を照らす光明の象徴です。私たちの心も、本来は満月のように円満で、自らを照らし、他を照らす光を具えていると密教では考えます。しかし、日常の様々な出来事や感情によって、その光は雲に覆われてしまう。

    月輪を観想することは、心の雲を取り払い、本来の輝きを取り戻すための手助けとなります。その静かで澄んだ光は、私たちの心のざわめきを鎮め、深い安らぎへと導いてくれるでしょう。それは、まるで暗い夜道を歩いている時に、ふと見上げた空に輝く満月を見つけた時のような、安堵感と広がりを与えてくれます。

そして、この蓮華と月輪の中心に輝く「ア」字。それは、私たちの存在の中心、決して揺らぐことのない真実の自己、宇宙の生命そのものと響き合う一点です。

 

「ア」字と溶け合う – 言葉を超えた一体感の体験

観想が深まってくると、私たちは「ア」字をただ客観的に眺めるのではなく、「ア」字と自分自身との境界が次第に曖昧になっていくような感覚を体験することがあります。これを**「ア字入我我入ア字(あじにゅうががにゅうあじ)」**と呼びます。「ア」字が私の中に入り、私が「ア」字の中に入る。自己と対象が一つに溶け合う、主客未分の境地です。

これは、言葉で説明しようとすると、途端に陳腐になってしまうような、非常に繊細で個人的な体験です。しかし、敢えて言葉を借りるならば、それは広大な宇宙の静寂の中に、自分という存在がぽつんと、しかし確かに溶け込んでいるような感覚。あるいは、自分という小さな波が、大海原そのものであることに気づくような体験、と言えるかもしれません。

現代社会は、個人の確立、自己主張を重視する傾向があります。それはそれで重要なことですが、ともすれば私たちは「個」であることに固執しすぎ、他者や世界との繋がりを見失いがちです。阿字観が誘う「ア字入我我入ア字」の体験は、そのような孤立感を癒し、私たちが本来、より大きな生命のネットワークの一部であるという、安心感に満ちた真実を思い出させてくれるのではないでしょうか。それは、知識として「わかる」のではなく、身体全体で、魂で「感じる」理解なのです。

 

日常という舞台に、静寂の「余白」をひらく

阿字観瞑想を終えて、ゆっくりと目を開けると、いつもの部屋、いつもの風景が、少しだけ違って見えることがあります。劇的に何かが変わるわけではありません。しかし、窓から差し込む光の粒子がいつもより鮮やかに感じられたり、遠くで聞こえる鳥の声が、心の奥まで染み渡るように聞こえたりする。それは、瞑想によって心に生まれた静かな「余白」が、日常の些細な美しさや豊かさを再発見させてくれるからかもしれません。

私たちは、忙しい日常の中で、常に何かを考え、何かを判断し、何かに反応しています。心は常にフル稼働で、休む暇もありません。阿字観瞑想は、そのような心の働きを一時的に鎮め、思考のノイズから解放される時間を与えてくれます。それは、 마치いつも音楽が鳴り響いている部屋で、ふと音楽が止んだ瞬間に訪れる静寂のようなもの。その静寂の中で初めて、私たちは自分自身の内なる声や、世界の微細な響きに耳を澄ますことができるのです。

この瞑想で培われた心の静けさや気づきは、日常生活においても、ささやかながら確かな影響を与えてくれるでしょう。例えば、イライラした時、感情に飲み込まれる前に、ふっと呼吸に意識を戻すことができるかもしれません。あるいは、複雑な問題に直面した時、焦って結論を出すのではなく、一度心を落ち着けて、より広い視野から物事を捉え直すことができるようになるかもしれません。それは、人生という舞台で、よりしなやかに、より創造的に振る舞うための、内なる「構え」を養うことにも繋がるように思われます。

 

終わりに – 「ア」の音に導かれる、あなた自身の物語

阿字観瞑想は、決して難解な修行や、現実逃避のための手段ではありません。むしろ、それは私たち自身の一番深いところにある「ほんとう」と、静かに、そして丁寧に向き合うための、きわめて実践的な知恵と言えるでしょう。それは、お気に入りの茶器で一杯のお茶をじっくりと味わうように、自分自身の心と身体を丁寧に味わう時間なのです。

この「ア」という一音、一枚の蓮華、一つの月輪を観想するシンプルな実践の中に、宇宙の真理と人間の心の深淵が凝縮されているかのようです。しかし、その意味や効果は、誰かから教えられて理解するものではなく、あなた自身が実践を通して、少しずつ感じ取っていくもの。それは、あなただけの内なる物語を紡ぎ出す、静かで豊かな旅路となるはずです。

もしあなたが、日々の喧騒の中で、少しだけ立ち止まり、内なる静けさに触れたいと感じているのなら、阿字観瞑想という古くて新しい扉を、そっと開いてみてはいかがでしょうか。そこには、言葉では語り尽くせない、あなた自身の「ア」の響きが、静かに待っているかもしれません。その微かな音に耳を澄ますことから、新たな日常が始まるのです。

 


1年で人生が変わる毎日のショートメール講座「あるがままに生きるヒント365」が送られてきます。ブログでお伝えしていることが凝縮され網羅されております。登録された方は漏れなく運気が上がると噂のメルマガ。毎日のヒントにお受け取りください。
【ENGAWA】あるがままに生きるヒント365
は必須項目です
  • メールアドレス
  • メールアドレス(確認)
  • お名前(姓名)
  • 姓 名 

      

- ヨガクラス開催中 -

engawayoga-yoyogi-20170112-2

ヨガは漢方薬のようなものです。
じわじわと効いてくるものです。
漢方薬の服用は継続するのが効果的

人生は”偶然”や”たまたま”で満ち溢れています。
直観が偶然を引き起こしあなたの物語を豊穣にしてくれます。

ヨガのポーズをとことん楽しむBTYクラスを開催中です。

『ぐずぐずしている間に
人生は一気に過ぎ去っていく』

人生の短さについて 他2篇 (岩波文庫) より

- 瞑想会も開催中 -

engawayoga-yoyogi-20170112-2

瞑想を通して本来のあなたの力を掘り起こしてみてください。
超簡単をモットーにSIQANという名の瞑想会を開催しております。

瞑想することで24時間全てが変化してきます。
全てが変化するからこそ、古代から現代まで伝わっているのだと感じます。

瞑想は時間×回数×人数に比例して深まります。

『初心者の心には多くの可能性があります。
しかし専門家と言われる人の心には、
それはほとんどありません。』

禅マインド ビギナーズ・マインド より

- インサイトマップ講座も開催中 -

engawayoga-yoyogi-20170112-2

インサイトマップは思考の鎖を外します。

深層意識を可視化していくことで、
自己理解が進み、人生も加速します。
悩み事や葛藤が解消されていくのです。

手放すべきものも自分でわかってきます。
自己理解、自己洞察が深まり
24時間の密度が変化してきますよ。

『色々と得たものをとにかく一度手放しますと、
新しいものが入ってくるのですね。 』

あるがままに生きる 足立幸子 より

- おすすめ書籍 -

ACKDZU
¥1,250 (2025/12/05 12:56:09時点 Amazon調べ-詳細)
¥2,079 (2025/12/05 12:52:04時点 Amazon調べ-詳細)

ABOUT US

アバター画像
Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。