阿字観瞑想への誘い:内に宇宙を観る智慧

MEDITATION-瞑想

私たちの日常は、情報の奔流と絶え間ない変化に晒されています。喧騒の中で、ふと立ち止まり、自らの内なる声に耳を澄ませる時間は、現代を生きる私たちにとって、かつてないほど貴重なものとなっているのではないでしょうか。古来より、人々は心の静寂と深遠なる叡智を求め、様々な精神的実践を探求してきました。その一つが、日本密教の至宝ともいえる「阿字観瞑想(あじかんめいそう)」です。

阿字観瞑想は、単なるリラクゼーション技法ではありません。それは、宇宙の根源的な生命エネルギーと自己との深いつながりを体感し、内なる仏性、すなわち私たちの本質的な輝きに目覚めるための、深遠な精神的修養法なのです。それは、あたかも広大な海に浮かぶ小舟が、羅針盤を得て自らの航路を見出すように、私たち自身の存在の基軸を定め、揺るぎない安心感と智慧をもたらしてくれる道標となるでしょう。

この記事では、阿字観瞑想の世界へと皆様をご案内いたします。

読み進めるうちに、皆様ご自身の内に秘められた宇宙の広大さと、そこに息づく静謐な光を感じていただけることでしょう。さあ、深呼吸をして、阿字観瞑想の扉をゆっくりと開いてみませんか。

 

阿字観瞑想とは何か:深淵なる真言密教の世界

阿字観瞑想とは、真言密教における最も代表的かつ深遠な観想法の一つです。その核心は、「阿」の字を観想することにあります。では、この「阿」とは一体何を意味するのでしょうか。

まず、「阿」という文字そのものについて触れておきましょう。「阿」(梵字:अ)は、サンスクリット語のアルファベットの最初の音であり、インドの伝統的な言語観においては、すべての音と言葉の根源、すなわち「不生不滅(ふしょうふめつ)」の真理を象徴するとされています。仏教、特に密教においては、この「阿」字に宇宙の始原、万物の本源、そして宇宙そのものである大日如来(だいにちにょらい)の生命が凝縮されていると解釈されます。それは、万物がそこから生まれ、そこに還っていく、永遠にして普遍的な生命の響きなのです。

次に、「観」についてです。これは単に「見る」という行為を超え、対象の本質を深く洞察し、その対象と一体化する精神作用を指します。仏教における「観」は、智慧(プラジュニャー)と結びつき、物事の表面的な姿に惑わされず、その奥にある真実の相を捉えることを目指すものです。

したがって、「阿字観瞑想」とは、「阿」字を心に描き、その意味するところを深く観想することを通して、自己と宇宙の本質、すなわち大日如来の智慧と慈悲に触れ、究極的には自己と宇宙が一体であるという覚り(悟り)を目指す実践である、と定義できます。これは、心を静め、ストレスを軽減するといった現代的な瞑想の効能も内包しつつ、さらにその先にある、存在の根源に関わる深遠な体験へと私たちを導くものなのです。

この瞑想を通じて期待されるのは、精神的な安定や集中力の向上に留まりません。自己の深層意識との対話を通じて、普段は気付かない自己の側面や可能性を発見し、真の自己受容へと至ること。そして、万物との一体感を感じることで、他者への共感や慈しみの心が育まれ、日々の生活における人間関係や世界の捉え方が変容していくこと。さらには、宇宙の秩序や生命の神秘に対する畏敬の念が深まり、生きることそのものへの根源的な肯定感がもたらされることも、阿字観瞑想が私たちに与えてくれる大きな恩恵と言えるでしょう。

 

阿字観瞑想の歴史的背景:空海の智慧と密教の潮流

阿字観瞑想の理解を深めるためには、その背景にある密教の壮大な歴史絵巻を紐解く必要があります。密教は、仏教の中でも特に神秘的な教義と実践体系を持つ潮流であり、その源流は古代インドに遡ります。

インド密教の萌芽と発展

紀元前後からインドで興隆した大乗仏教は、全ての人々が仏陀になる可能性を持つ(一切衆生悉有仏性)という画期的な思想を打ち出しました。この大乗仏教の精神的土壌の中で、7世紀頃から、より実践的かつ迅速な覚りへの道を説くタントリズム(密教的要素を含む宗教的・哲学的潮流の総称)の影響を受けながら、密教はその姿を現し始めます。初期の密教経典とされる『大日経(だいにちきょう)』や『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』などが編纂され、宇宙の真理を象徴する仏、大日如来を中心とする独自の宇宙観と、儀礼や観想(瞑想)、真言(マントラ)、印相(ムドラー)といった具体的な実践方法が体系化されていきました。そこには、人間の内に秘められた仏性を積極的に開発し、この身このままで仏となる「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を可能にするという、力強いメッセージが込められていたのです。

中国への伝播と体系化

このインドで花開いた密教は、シルクロードを経由して中国へと伝わります。8世紀初頭、善無畏(ぜんむい)、金剛智(こんごうち)、不空(ふくう)といったインドや中央アジア出身の僧侶たちが相次いで渡来し、密教経典の漢訳と教義の体系化に尽力しました。彼らの活動により、中国密教は一つの頂点を迎え、多くの修行者がその深遠な教えに触れることとなります。阿字観の原型となるような観想法も、この時期に既に存在していたと考えられています。

日本への伝来:空海と真言宗の開創

そして、この中国密教の精髄を日本にもたらしたのが、稀代の天才、空海(弘法大師、774-835年)です。若き日の空海は、既存の仏教では満たされない精神的渇望を抱き、真理を求めて唐へと渡りました。そこで彼は、密教の第七祖とされる恵果和尚(けいかかしょう)に師事し、短期間で密教の奥義を伝授されるという奇跡的な出会いを果たします。

帰国後、空海は高野山に金剛峯寺を開き、真言宗を創始しました。彼の思想の中心には、『大日経』や『金剛頂経』に説かれる大日如来の教えがあり、万物は大日如来の顕現であり、人間もまたその内に仏性を宿していると考えました。そして、その仏性を開花させ、この身のままで仏と一体化する「即身成仏」こそが、真言密教の究極の目的であると説いたのです。阿字観瞑想は、この即身成仏を実現するための極めて重要な実践として、空海によって日本に請来され、体系化されたと考えられます。

空海の思想背景には、般若経典に説かれる「空(くう)」の思想や、華厳経(けごんきょう)の壮大な世界観なども深く影響しており、それらを密教の視点から統合し、独自の思想体系を構築しました。阿字観における「阿」字が「空」にして万物の本源であるという理解も、こうした豊かな思想的土壌から生まれたものと言えるでしょう。

その後、阿字観は真言宗の各流派において受け継がれ、それぞれの解釈や実践法が深められてきました。時代を超えて多くの修行者たちが、この「阿」字の観想を通して、自らの内なる宇宙と向き合い続けてきたのです。

 

阿字観瞑想の思想的基盤:万物照応の世界観

阿字観瞑想がなぜこれほどまでに深遠な実践とされるのか。その答えは、真言密教が提示する独特で壮大な世界観にあります。それは、目に見える現象世界の背後に、より根源的で普遍的な秩序と生命が存在するという思想です。

大日如来:宇宙の普遍的生命

真言密教の中心に座すのは、大日如来です。大日如来は、太陽のように宇宙の隅々までその光明を遍く照らし、万物を生成し育成する宇宙的な生命そのもの、あるいは宇宙の真理そのものとされます。特定の姿形を持つ仏というよりは、むしろ宇宙の働きそのもの、法そのもの(法身仏:ほっしんぶつ)として理解されることが多いでしょう。私たちの個々の生命も、この大日如来の広大な生命の一部であり、その分霊であると考えられます。「阿」字は、この大日如来の象徴であり、その生命エネルギーが凝縮されたものなのです。

空(シューニャター):存在の非実体性と無限の可能性

密教思想の根底には、大乗仏教の核心概念である「空(くう)」の思想が流れています。空とは、虚無や何もないということではなく、すべての事物や現象は固定的な実体を持たず、相互依存の関係性(縁起)のなかで絶えず変化しているという真理を指します。般若心経で「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」と説かれるように、形あるものはすべて空であり、空であるからこそあらゆる形をとりうる、というダイナミックな世界観です。阿字観において「阿」字が「不生」を意味するのは、この空の思想と深く結びついています。固定的な実体がないからこそ、あらゆるものを生み出す無限の可能性を秘めている、というわけです。

縁起:全ての事象は相互依存している

空の思想と表裏一体なのが「縁起(えんぎ)」の教えです。これは、この世界のあらゆる存在や現象は、単独で孤立して存在するのではなく、無数の原因(因)と条件(縁)が複雑に絡み合って成立している、という考え方です。私という存在も、他者や自然、社会といった無数の縁によって生かされています。阿字観瞑想を通じて自己と宇宙の一体感を体感することは、この縁起の理を深く理解し、万物とのつながりを実感することに他なりません。

三密加持:仏との一体化

真言密教では、「即身成仏」を実現するための具体的な方法として「三密加持(さんみつかじ)」を重視します。三密とは、私たちの身体的行為(身密:しんみつ)、言語的行為(口密:くみつ)、心的行為(意密:いみつ)の三つを指します。これらの日常的な行為を、仏のそれと一致させる(仏の身体的行為=印相、仏の言語的行為=真言、仏の心的行為=観想)ことで、仏の智慧と慈悲の力(加持力:かじりき)を我が身に受け、仏と一体化するという考え方です。

阿字観瞑想においては、

  • 身密: 特定の印を結ぶ(例えば法界定印:ほっかいじょういん)

  • 口密: 「阿」字や関連する真言(例えば大日如来真言「オン・ア・ビ・ラ・ウン・ケン・ソワカ」)を唱える

  • 意密: 「阿」字を心に鮮明に観想し、その意味を深く味わう

    これら三つの実践が統合されることで、瞑想はより深く、効果的なものとなるのです。

自己と宇宙の一体感:「即身成仏」への道

これらの思想的基盤の上に成り立つ阿字観瞑想は、私たちを自己という小さな殻から解き放ち、宇宙大の広がりへと意識を拡大させてくれます。それは、個としての「私」が消滅するのではなく、むしろ個としての「私」が宇宙全体と響き合い、大いなる生命の流れと一体であることに目覚める体験です。この身このままでありながら、仏の境地を体現する「即身成仏」とは、まさにこのような意識の変容と、それに伴う生き方の転換を指し示しているのではないでしょうか。それは、私たちが日常の中で忘れがちな、生命の根源的な喜びと安心感を取り戻す旅路とも言えるでしょう。

 

阿字観瞑想の実践方法:静寂の中で「阿」字と出会う

それでは、具体的に阿字観瞑想はどのように行うのでしょうか。ここでは、基本的な実践方法を段階的に解説しますが、本格的に取り組む際には、信頼できる指導者の下で学ぶことを強くお勧めします。瞑想は非常に個人的な体験であり、時に予期せぬ心の動きが生じることもあるため、適切な導きが不可欠なのです。

準備するもの

  1. 静かな場所: 外部の騒音や邪魔が入らない、落ち着ける空間を選びましょう。

  2. 座具: 座布団や瞑想用クッション(坐蒲:ざふ)などを用意します。長時間座っても身体に負担がかかりにくいものが望ましいです。

  3. 月輪観想用の図像(任意): 白い円(月輪:がちりん)の中に梵字の「阿」字が描かれた掛軸や図像があれば、観想の助けになります。なければ、心の中に鮮明にイメージすることから始めましょう。

  4. ゆったりとした服装: 身体を締め付けない、リラックスできる服装を選びます。

基本的な姿勢

座法は、伝統的には結跏趺坐(けっかふざ)や半跏趺坐(はんかふざ)が推奨されますが、無理なく安定して座れる姿勢であれば、安座(あぐら)や椅子に座るのでも構いません。大切なのは、背筋を自然に伸ばし、左右のバランスを整え、安定した姿勢を保つことです。手は法界定印(ほっかいじょういん:左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を軽く触れ合わせる)を組むのが一般的です。目は半眼(薄目を開け、視線は1メートルほど前方に自然に落とす)にするか、軽く閉じます。

呼吸法(調息)

瞑想に入る前に、呼吸を整えます。深く、ゆっくりとした腹式呼吸を数回行い、心身の緊張を解きほぐしましょう。瞑想中は、特に意識して呼吸をコントロールしようとするのではなく、自然で穏やかな呼吸に任せます。呼吸は、心と身体を繋ぐ架け橋であり、心の状態を映し出す鏡でもあります。

観想のステップ

阿字観瞑想は、段階的に観想を深めていくのが一般的です。以下に代表的なステップを示します。

  1. 道場観(どうじょうかん):

    まず、自分が座っている場所が清浄で神聖な空間であると観想します。周囲の空気や光が清らかで、諸仏諸菩薩に見守られているような感覚を心に描きます。これは、瞑想に適した心の状態を整えるための準備段階です。

  2. 月輪観(がちりんかん):

    次に、自分の心の中、あるいは胸のあたりに、清浄で満ち足りた満月(月輪)を観想します。その月輪は、欠けることのない完全な円であり、清らかで明るい光を放っているとイメージします。この月輪は、私たち自身の本来の心、仏性の象徴とされます。大きさは、初めは小さなものから、徐々に大きくしていくと良いでしょう。

  3. 阿字観(あじかん):

    その清浄な月輪の中心に、金色の輝きを放つ梵字の「阿」字を鮮明に観想します。「阿」字の形、色、光を細部までありありと心に描きます。この「阿」字が、宇宙の根源的な生命エネルギーであり、大日如来そのものであると感じます。もし「阿」字の形が難しければ、まずは光そのものを観想するのでも構いません。

  4. 阿字入我・我入阿字観(あじにゅうが・がにゅうあじかん):

    観想が深まってきたら、「阿」字の光が自分の身体全体に広がり、自分自身が「阿」字そのものと一体化していく感覚を味わいます。あるいは、自分が「阿」字の中に溶け込んでいくように観想します。「阿」字と自己との境界がなくなり、一つになる体験です。

  5. 展開観・拡大観(てんかいくかん・かくだいくかん):

    次に、その一体化した「阿」字(あるいは自己)が、無限に拡大していく様を観想します。自分の身体の境界がなくなり、部屋全体、街全体、地球全体、そして宇宙全体へと広がり、宇宙そのものと一体となる感覚を深めます。自己が宇宙大の存在となるのです。

  6. 収斂観(しゅうれんかん):

    最後に、宇宙大に広がった意識を、再び徐々に収束させ、元の月輪と「阿」字の観想に戻り、そして通常の自己の感覚へと静かに戻ってきます。

瞑想の時間は、初めは5分から10分程度から始め、徐々に慣れてきたら時間を延ばしていくと良いでしょう。

真言の読誦

観想を助けるために、真言を唱えることもあります。代表的なものに、大日如来の真言「オン・ア・ビ・ラ・ウン・ケン・ソワカ」があります。この真言は、宇宙の生成化育のプロセスや大日如来の徳性を象徴するとされ、その響きは心身を浄化し、観想を深める力を持つと言われています。「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」は地水火風空の五大を、「ソワカ」は成就を意味します。

注意点

  • 無理をしない: 身体的な痛みや精神的な不快感を感じたら、無理せず中断しましょう。

  • 雑念への対処: 瞑想中に様々な思考や感情(雑念)が湧いてくるのは自然なことです。それらを追い払おうとせず、ただ静かに観察し、再び観想の対象に意識を戻すようにします。

  • 指導者の重要性: 特に深い瞑想体験を求める場合や、何らかの精神的な課題を抱えている場合は、経験豊かな指導者の下で実践することが不可欠です。自己流で行うと思わぬ困難に直面することもあります。

阿字観瞑想は、一朝一夕に成就するものではありません。日々の地道な実践の積み重ねが、少しずつ心の風景を変え、深い気づきをもたらしてくれるのです。

 

阿字観瞑想と現代:情報過多の時代を生きる智慧

現代社会は、かつてないほどの情報量と変化のスピードに特徴づけられます。私たちは常に外部からの刺激に晒され、効率や成果を求められる中で、知らず知らずのうちに心身を疲弊させているのではないでしょうか。このような時代だからこそ、阿字観瞑想のような内省的な実践が持つ意義は、ますます大きくなっていると言えるでしょう。

現代社会のストレスと瞑想の必要性

デジタル技術の進展は、私たちに多くの利便性をもたらしましたが、同時に、常時接続の状態を生み出し、公私の区別を曖昧にし、深いリラックスや内省の時間を奪いがちです。結果として、多くの人々が慢性的なストレス、不安、孤独感、そして「自分とは何か」「何のために生きているのか」といった根源的な問いに対する漠然とした渇望を抱えています。

瞑想は、このような現代特有の課題に対する一つの有効な処方箋となり得ます。意識的に外部の刺激から離れ、自らの内面に注意を向ける時間は、心のノイズを鎮め、感情の波に乗りこなし、本来の自分自身と再び繋がる機会を与えてくれます。

マインドフルネスとの比較と共通点・相違点

近年、欧米を中心に「マインドフルネス瞑想」が科学的なエビデンスと共に広く普及しています。マインドフルネスは、「今、この瞬間の体験に、評価や判断を加えることなく、意図的に注意を向けること」と定義され、ストレス軽減、集中力向上、感情調整などに効果があるとされています。

阿字観瞑想とマインドフルネスは、共に「今、ここ」に意識を集中させ、自己観察を深めるという点で共通項を持っています。呼吸への意識や、湧き上がる思考や感情を客観的に捉える姿勢は、両者に通底する要素と言えるでしょう。

しかしながら、その起源、目的、実践方法には明確な違いが存在します。

  • 起源: マインドフルネスは主に初期仏教のヴィパッサナー瞑想などに源流を持ち、宗教色を排して現代心理学や脳科学と結びつけて再構築された側面があります。一方、阿字観瞑想は真言密教という特定の宗教的・哲学的背景の中で育まれた、明確な世界観と救済観を持つ実践です。

  • 目的: マインドフルネスの主な目的は、ストレス対処やウェルビーイングの向上など、比較的現世的な利益に焦点が当てられることが多いです。対して阿字観瞑想は、究極的には「即身成仏」、すなわち自己と宇宙の本質的な一体性を覚り、仏陀の智慧と慈悲を体現することを目指します。

  • 実践方法: マインドフルネスでは、呼吸や身体感覚、あるいは日常の動作など、比較的ニュートラルな対象に注意を向けます。阿字観瞑想では、「阿」字や月輪といった特定の象徴的なイメージを観想し、そこに含まれる深遠な哲学的意味合いを瞑想の対象とします。また、真言や印相といった密教特有の行法も伴います。

どちらが優れているというわけではなく、それぞれの特性を理解し、自身の目的や関心に応じて選択することが重要です。むしろ、マインドフルネスで培われた「今、ここへの注意力」は、阿字観瞑想のようなより深い観想への入り口として役立つ可能性も秘めていると言えるでしょう。

阿字観がもたらす心の平静と自己洞察

阿字観瞑想の実践は、私たちに深い心の平静をもたらします。「阿」字が象徴する不生不滅の真理、宇宙の根源的な静けさに触れることで、日常の些末な出来事に一喜一憂する心が鎮まり、揺るぎない安心感が育まれます。

また、自己の内面を深く見つめる中で、普段は意識の奥底に隠れている感情や思考パターン、固定観念などに気づくことがあります。これは時に痛みを伴うかもしれませんが、それらを客観的に受け止め、手放していくプロセスは、真の自己理解と自己受容へと繋がります。それは、あたかも濁った水が静かに沈殿し、本来の透明さを取り戻すように、私たちの心も澄み渡っていく体験ではないでしょうか。

日常への活かし方

阿字観瞑想で培われた集中力、洞察力、そして心の平静さは、日常生活の様々な場面で活かされます。

例えば、仕事や学業における集中力や創造性の向上、対人関係における共感力や寛容さの増大、困難な状況に直面した際の精神的な強靭さ(レジリエンス)の獲得などが期待できます。また、「阿」字が象徴する万物との一体感は、環境問題や社会的な課題に対する意識を高め、より利他的な行動へと私たちを促すかもしれません。

科学的視点からの考察の可能性

近年、瞑想が脳機能や自律神経系に与える影響について、脳科学的な研究が進んでいます。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)などを用いた研究では、瞑想実践者の脳波の変化や、特定の脳領域の活動パターンの変化などが報告されています。阿字観瞑想のような特定の観想法が脳にどのような影響を与えるのか、今後のさらなる研究が待たれるところですが、伝統的な智慧と現代科学が交差する地点に、新たな発見があるかもしれません。

情報が氾濫し、価値観が多様化する現代において、私たち一人ひとりが自らの内なる羅針盤を持つことの重要性は、ますます高まっています。阿字観瞑想は、そのための強力なツールの一つとして、現代を生きる私たちに静かで確かな光を投げかけているのです。

 

阿字観瞑想を深めるために:学びの道標

阿字観瞑想の世界に足を踏み入れ、その深遠なる魅力に触れたならば、さらに学びを深めたいという思いが湧き起こるかもしれません。ここでは、その探求の旅を続けるためのいくつかの道標を示したいと思います。

指導者や道場の探し方

独学で阿字観瞑想を深めることには限界があります。特に、観想の深まりや内的な体験に関しては、経験豊かな指導者の導きが非常に重要となります。

  • 真言宗寺院: 阿字観瞑想は真言宗の伝統的な行法ですので、真言宗の寺院で指導を受けられる場合があります。多くの寺院では、一般向けの瞑想会や講座を開催しています。まずは近隣の寺院に問い合わせてみるのが良いでしょう。

  • 瞑想センターや道場: 特定の宗派に属さず、広く瞑想指導を行っているセンターや道場でも、阿字観に類する観想法を教えている場合があります。ただし、その指導内容が伝統的な阿字観に基づいているか、指導者の資格や経験は十分かなどを事前に確認することが肝要です。

  • 指導者の資質: 良い指導者とは、単に知識が豊富なだけでなく、実践を通じて得られた深い洞察と、他者への共感力、そして個々の修行者の状態を見極める眼力を持っている人物です。焦らず、自分にとって信頼できる師を見つけることが大切です。

体験会などに参加してみて、その場の雰囲気や指導者の人柄が自分に合うかどうかを確かめるのも良い方法です。

継続することの意義と難しさ、そしてその先にあるもの

阿字観瞑想は、日々の地道な継続が何よりも重要です。しかし、現代の忙しい生活の中で、毎日一定の時間を確保し、静かに座ることは容易ではないかもしれません。時には雑念に悩まされたり、効果を実感できずにモチベーションが低下したりすることもあるでしょう。

そのような時こそ、初心に立ち返り、なぜ自分がこの道を歩もうと思ったのかを思い出すことが助けになります。また、完璧を目指すのではなく、たとえ短い時間でも、できる範囲で続けることが大切です。結果を急がず、プロセスそのものを楽しむ心持ちが、継続の鍵となるでしょう。

そして、この地道な実践を続けていく先にこそ、阿字観瞑想が真に私たちにもたらしてくれるものがあります。それは、言葉では表現し尽くせないような、深い自己肯定感と、万物への慈しみ、そして何ものにも揺るがない心の平安です。それは、あたかも暗闇の中で一点の灯火を頼りに進む旅人が、やがて広大な夜明けの光景に出会うような体験かもしれません。

学びの道は奥深く、終わりがありません。しかし、その一歩一歩が、確実に私たちを内なる豊かさへと導いてくれるはずです。

 

結論:阿字観瞑想が開く新たな地平

私たちはこれまで、阿字観瞑想という、日本密教が育んできた深遠な精神的実践について、その歴史、思想、方法、そして現代的意義を探求してきました。「阿」という一文字に込められた宇宙の真理、そしてそれを観想することによって開かれる内なる世界の広大さは、私たちに何を語りかけているのでしょうか。

阿字観瞑想は、単なる技法や知識の習得を超えた、自己変容への道です。それは、情報や他者の評価に振り回されがちな現代において、私たち自身の内側に確固たる精神的支柱を築く営みと言えるでしょう。心の中に清浄な月輪を描き、そこに宇宙の根源たる「阿」字を観る。この静かで集中した実践は、日々の喧騒の中で見失いがちな、私たち自身の本来の輝き、すなわち仏性を再発見させてくれます。

それは、あたかも硬い土の表層を丁寧に耕し、その下に眠る豊かな土壌と清らかな地下水脈に触れるような作業に似ています。初めは困難を感じるかもしれませんが、根気強く続けていくうちに、心の土壌は次第に柔らかくなり、生命力に満ち溢れてくるのを感じるでしょう。

阿字観瞑想を通じて深まる自己と宇宙の一体感は、私たちを孤独感から解放し、万物との深いつながりの中で生かされているという実感を与えてくれます。それは、競争や比較ではなく、調和と共生を基盤とした新しい生き方への扉を開くものです。自分の内なる宇宙が、外なる大宇宙と響き合っているという感覚は、私たちに計り知れない安心感と、生きる勇気を与えてくれるに違いありません。

この記事が、皆様にとって阿字観瞑想という未知なる大陸への地図となり、その第一歩を踏み出すきっかけとなれば、これに勝る喜びはありません。もちろん、この道は平坦なだけではないかもしれません。しかし、その道のりの先には、これまで想像もしなかったような、豊かで静謐な精神の地平が広がっていることでしょう。

どうぞ、静かな時間を見つけ、ゆっくりと呼吸を整え、ご自身の内なる「阿」字の光に触れてみてください。そこから、新たな自己発見と、世界との新たな関わり方が始まるかもしれません。阿字観瞑想が、皆様の人生にとって、かけがえのない宝となることを心より願っております。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。