阿字観瞑想へのいざない:内なる宇宙と響き合う静寂の扉

MEDITATION-瞑想

喧騒と情報が絶え間なく押し寄せる現代社会。私たちは、ともすれば自分自身の内なる声を聞き失い、心の静寂を見失いがちです。そのような時代だからこそ、古より伝わる智慧、とりわけ瞑想法が、私たちにとってかけがえのない道しるべとなり得るのではないでしょうか。

今回ご紹介する「阿字観瞑想(あじかんめいそう)」は、日本の仏教、特に真言密教の祖である弘法大師空海によって体系化され、伝えられてきた深遠な瞑想法です。それは単なるリラクゼーションの技法に留まらず、自己と宇宙の本質を見つめ、大いなる生命との一体感を体感するための、実践的な哲学的探求ともいえるでしょう。

この記事では、阿字観瞑想の歴史的背景や思想的基盤、具体的な実践方法、そしてそれが私たちの心身にもたらす恩恵について、専門的な視点から、しかし初心者の方にも分かりやすく、網羅的に解説してまいります。まるで縁側で温かいお茶をいただくように、ゆったりとした気持ちで、阿字観の奥深い世界へと足を踏み入れてみましょう。

 

阿字観瞑想の源流:空海と密教、そして東洋思想の交差点

阿字観瞑想を理解するためには、まずその誕生の背景にある歴史と思想の潮流を辿る必要があります。阿字観は、平安時代初期(9世紀初頭)に活躍した弘法大師空海(774-835)が、中国(唐)より持ち帰った密教の教え、特に『大日経(だいにちきょう)』や『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』に基づいて体系化したものです。

 

密教とは何か

密教(みっきょう)とは、「秘密仏教」の略であり、顕教(けんぎょう:言葉によって明らかに説かれた教え)に対し、深遠で容易には理解し難い、奥深い教えを指します。その特徴は、宇宙の真理や仏の智慧を、経典の文字だけでなく、マンダラ(仏の世界を図示したもの)、印相(いんぞう:手の形)、真言(しんごん:仏の真実の言葉)、そして瞑想といった多様な身体的・象徴的実践を通じて体得しようとするところにあります。

空海が伝えた真言密教では、宇宙の根本仏を大日如来(だいにちにょらい)とし、この世界のあらゆる現象は大日如来のいのちの顕れであると捉えます。そして、私たち人間もまた、その本性において大日如来と一体であり、「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」、すなわちこの身このままで仏になることが可能であると説くのです。阿字観瞑想は、この即身成仏を実現するための重要な修行法の一つとして位置づけられています。

 

東洋思想との響き合い

阿字観瞑想の背後には、インドで発祥し、中央アジア、中国、そして日本へと伝播する中で、各地の土着の思想や文化と融合し、変容を遂げてきた仏教思想の壮大な流れが存在します。

特に、インドのタントラ思想の影響は無視できません。タントリズムは、宇宙を聖なるエネルギー(シャクティ)の戯れとみなし、身体を小宇宙と捉え、儀礼やヨーガ的な実践を通じて解脱を目指す思想体系であり、密教の形成に大きな影響を与えました。身体を否定せず、むしろ悟りへの媒体と見なすタントラ的な身体観は、阿字観における観想の対象と自己の身体との一体化という発想にも通底していると言えるでしょう。

また、中国においては、老荘思想に代表される道教の「道(タオ)」という宇宙の根源的原理や、「気」という生命エネルギーの概念が、仏教の「空(くう)」や「縁起(えんぎ)」といった思想と接触し、独自の深化を遂げました。これらの東洋的宇宙観や生命観が、阿字観における「阿」字を宇宙の始まりであり全てを包含する根源として観想する視座を豊かにしたと考えられます。

空海自身、儒教や道教といった中国の諸思想にも深く通じており、それらを仏教の枠組みの中で巧みに統合し、日本独自の密教文化を花開かせました。阿字観瞑想は、こうした多様な思想的背景を持つ、東洋の叡智の結晶なのです。

 

「阿」字に宿る宇宙:阿字観瞑想の核心

阿字観瞑想の「阿(ア)」とは、梵字(ぼんじ:サンスクリット語を表記するための古代インドの文字、悉曇文字ともいう)の一つです。では、なぜ数ある文字の中から、この「阿」字が瞑想の対象として選ばれたのでしょうか。そこには、深遠な哲学的意味が込められています。

 

「阿」字の象徴性

  1. 万物の根源・不生不滅: 「阿」は、サンスクリット語のアルファベットの最初の音であり、全ての言語音の基礎となる母音です。密教では、この「阿」字を宇宙の森羅万象が生起する以前の、言葉や分別を超えた根源的な状態、すなわち「不生(ふしょう)」の理を表すものと解釈します。万物は「阿」字から生まれ、「阿」字に還るとされ、それは生じもせず滅しもしない、永遠の生命そのものを象徴するのです。

  2. 空(くう): 仏教思想の核心概念である「空」は、全てのものには固定的な実体がないという真理を指します。「阿」字は、あらゆる存在がそこから現れ、またそこへと帰っていく絶対的な空性を体現しているとされます。しかし、この「空」は虚無ではなく、万物を生み出す可能性に満ちた豊饒な空間なのです。

  3. 大日如来の象徴: 真言密教において、大日如来は宇宙の真理そのものであり、万物の根源です。「阿」字は大日如来の種子(しゅじ:仏尊を象徴する一字)であり、この一字に大日如来の全ての功徳と智慧が凝縮されていると考えられています。阿字観とは、いわば大日如来そのものを観想することに他なりません。

  4. 本不生(ほんぷしょう): 私たちの心の本性は、本来生まれもせず汚れもない、清浄なものであるという教えです。「阿」字を観想することで、この汚されることのない自己の本性に気づき、立ち返ることを目指します。

 

月輪観(がちりんかん)との融合

阿字観瞑想は、多くの場合、「月輪観」と共に行われます。月輪とは満月のことであり、清浄、円満、光明の象徴です。瞑想者は、まず心の中に清らかな満月を観想し、その月輪の中央に金色の「阿」字を観じます。

月輪は私たちの本来持っている仏心(ぶっしん)、すなわち覚りの可能性を象徴し、「阿」字はその仏心の本質が不生不滅であることを示しています。この二つを組み合わせることで、自己の心が本来清浄であり、宇宙の根源と繋がっていることを深く体感しようとするのです。

「なぜ『阿』字なのか」という問いに対して、私たちは、それが単なる記号ではなく、宇宙の構造と人間の本質に関する深遠な洞察を凝縮した象徴であるからだ、と答えることができるでしょう。それは、言葉以前の世界、分別が生まれる前の静寂と豊穣に満ちた根源への扉なのです。

 

阿字観瞑想の実践:静寂の海へ漕ぎ出すための航海術

阿字観瞑想は、特別な才能や能力を必要とするものではありません。正しい手順と心構えをもって臨めば、誰でもその深遠な世界の一端に触れることが可能です。ここでは、初心者の方にも取り組みやすい形で、その実践方法を段階的に見ていきましょう。

 

準備

  1. 場所: 静かで落ち着ける場所を選びましょう。清潔で、心地よい空間であることが望ましいです。道場や寺院でなくとも、自宅の一室で構いません。

  2. 時間: 始めは5分から10分程度でも良いでしょう。慣れてきたら徐々に時間を延ばしていきます。朝の目覚めた後や、夜寝る前など、日常の中で習慣化しやすい時間帯を見つけるのがコツです。

  3. 姿勢:

    • 結跏趺坐(けっかふざ): 両足を反対側の腿の上に乗せる座り方。安定した姿勢ですが、柔軟性が必要です。

    • 半跏趺坐(はんかふざ): 片足のみを反対側の腿の上に乗せる座り方。結跏趺坐より取り組みやすいでしょう。

    • 正座(せいざ): 日本人には馴染み深い座り方です。

    • 椅子坐(いすざ): 足腰に不安がある方は、背筋を伸ばして椅子に浅く腰掛ける形でも構いません。大切なのは、背筋を自然に伸ばし、安定して長時間座れる姿勢であることです。

    • 手は、法界定印(ほっかいじょういん:左手のひらを上にし、その上に右手のひらを重ね、両手の親指の先を軽く合わせる)を組むのが一般的ですが、膝の上に楽に置いても良いでしょう。目は半眼(はんがん:薄く開ける)にするか、軽く閉じます。

  4. 観想の対象: 本格的には、阿字と月輪が描かれた掛け軸(阿字観本尊)を目の前に掲げますが、最初は清浄な満月とその中の金色の「阿」字を心の中にイメージするだけでも構いません。最近では、スマートフォンアプリなどで画像を表示することも可能です。

 

瞑想の手順

  1. 調身(ちょうしん): まずは姿勢を整えます。下腹部に軽く力を込め、肩の力は抜き、背骨が一本の軸となって天から吊るされているようなイメージを持ちます。

  2. 調息(ちょうそく): 次に呼吸を整えます。深く、長く、静かな呼吸を心がけます。腹式呼吸が良いでしょう。吸う息と吐く息の長さを均等にするか、吐く息をやや長めにするなど、自分が心地よいと感じるリズムを見つけてください。数息観(すそくかん:呼吸の数を数える)を取り入れ、心を落ち着かせるのも効果的です。

  3. 月輪観: 心を静かに集中させ、目の前(あるいは心の中)に、一点の曇りもない清浄な満月を観想します。その月は、夜空に皓々と輝く月であり、その光は自分の内面をも照らし出すかのように感じます。

  4. 阿字観: 次に、その月輪の中央に、金色に輝く梵字の「阿」字を観想します。「阿」字は、まるで太陽のように力強く、しかし穏やかな光を放っているとイメージしましょう。その形、色、輝きを、できるだけ鮮明に心に描きます。

  5. 入我我入(にゅうががにゅう): ここからが阿字観の核心です。

    • 入我(にゅうが): 観想している「阿」字と月輪が、徐々に自分に近づき、やがて自分の身体の中に入り、心臓の位置(あるいは眉間や頭頂)で一体となるのを観じます。自分自身が「阿」字そのものになり、月輪の清浄な光に満たされる感覚です。

    • 我入(がにゅう): 次に、自分自身が「阿」字と月輪の中に溶け込んでいくのを観じます。自己という境界線が薄れ、無限の宇宙、大日如来の生命そのものと一体化していく感覚です。

      この入我と我入を繰り返し、自己と対象との区別が消え、絶対的な一体感、宇宙的な広がりを体感することを目指します。

  6. 出定(しゅつじょう): 瞑想を終える際は、急に動き出さず、ゆっくりと意識を現実に戻していきます。深く呼吸を数回行い、手足を軽く動かしてから、静かに目を開けます。

 

初心者のためのヒントと注意点

  • 雑念: 瞑想中に様々な考えが浮かんできても、それを追い払おうとせず、ただ「雑念が浮かんだな」と客観的に観察し、再び「阿」字と月輪の観想に意識を戻します。雑念は自然なことなので、気に病む必要はありません。

  • 集中できない: 最初から完璧な集中を求めず、少しずつ慣れていくことが大切です。たとえ数秒でも「阿」字を観想できれば、それで良いのです。

  • 結果を求めない: 悟りや特別な体験を期待しすぎると、かえって緊張や焦りを生み、瞑想の妨げになります。ただ、今この瞬間の実践そのものを大切にしましょう。

  • 継続は力なり: 短時間でも良いので、毎日続けることが重要です。継続することで、徐々に心の静寂と集中力が養われていきます。

阿字観瞑想は、一朝一夕に完成するものではありません。焦らず、気長に、しかし誠実に取り組む姿勢が何よりも大切です。それは、まるで種を蒔き、水をやり、太陽の光を浴びさせて、ゆっくりと芽が出るのを待つような、忍耐と慈しみを要する営みなのです。

 

阿字観瞑想がもたらす恩恵:心と身体、そして魂への響き

阿字観瞑想の実践は、私たちの心身、そしてより深い意識の領域に、多岐にわたる恩恵をもたらすと考えられています。それは、現代人が抱える様々な課題に対する、古くて新しい処方箋とも言えるかもしれません。

 

心理的効果

  1. ストレス軽減と精神の安定: 呼吸を整え、一点に集中するプロセスは、交感神経の興奮を鎮め、副交感神経を優位にし、心身をリラックス状態へと導きます。日々のストレスや不安感が和らぎ、精神的な安定感がもたらされることが期待できます。

  2. 集中力の向上: 「阿」字と月輪という特定の対象に意識を向け続ける訓練は、散漫になりがちな心を鍛え、集中力や注意力を高める助けとなります。これは、仕事や学習においても良い影響を与えるでしょう。

  3. 自己肯定感の醸成: 阿字観は、自己の本性が仏(大日如来)と一体であり、本来清浄で尊いものであるという視座を与えてくれます。これにより、自己否定的な感情が薄れ、ありのままの自分を受け入れることができるようになり、健全な自己肯定感が育まれます。

  4. 客観性の獲得: 瞑想中に浮かび上がる思考や感情を、距離を置いて観察する訓練は、自己の心理状態に対する客観的な視点を養います。これにより、感情に振り回されることなく、冷静な判断ができるようになるでしょう。

 

身体的効果

阿字観瞑想の身体的効果については、科学的なエビデンスが十分に確立されているわけではありませんが、瞑想一般に認められている効果として、以下のようなものが期待できるかもしれません。

  1. リラックス効果による生理的変化: 血圧の安定、心拍数の低下、筋肉の緊張緩和など、深いリラクゼーション状態がもたらす生理的な変化が報告されています。

  2. 自律神経の調整: 呼吸法と精神集中により、自律神経系のバランスが整えられ、免疫機能やホルモンバランスの改善に寄与する可能性が示唆されています。

ただし、これらの身体的効果を過度に期待するのではなく、あくまで心の修養の一環として捉えることが肝要です。

 

哲学的・霊的効果

  1. 自己と宇宙の一体感: 「入我我入」の観想を通じて、自己という個の枠組みを超え、宇宙全体、あるいは大日如来という普遍的な生命との一体感を体験することが、阿字観の目指す境地の一つです。これは、孤独感や疎外感を癒し、大いなるものに抱かれているという安心感をもたらすかもしれません。

  2. 空性の体感: 万物が「阿」字という根源から生じ、固定的な実体を持たないという「空」の理を、知識としてではなく、直感的に体感する機会を与えてくれます。これにより、物事への執着が薄れ、より自由な心のあり方が可能になります。

  3. 智慧の獲得: 阿字観は、単なる精神統一に留まらず、宇宙の真理や自己の本質に対する深い洞察、すなわち般若(プラジュニャー)の智慧を獲得するための道であるとされています。この智慧は、人生における様々な困難や迷いに対して、本質的な解決の光を投げかけてくれるでしょう。

現代社会は、効率性や成果主義が優先され、私たちは常に外部からの評価や情報に晒されています。そのような中で、阿字観瞑想は、私たちに内側へと意識を向け、自己の内に秘められた無限の可能性と静寂の源泉に触れる機会を与えてくれます。それは、外的な条件に左右されない、確固たる自己の軸を確立するための、静かなる革命とも言えるかもしれません。

 

阿字観瞑想と他の瞑想法:多様性の中の普遍性

瞑想と一口に言っても、その種類やアプローチは多岐にわたります。阿字観瞑想は、その中でも独特の位置を占めていますが、他の瞑想法と比較することで、その特徴と普遍性がより明らかになるでしょう。

 

ヴィパッサナー瞑想やサマタ瞑想との比較

  • サマタ瞑想(止行): 心を一つの対象に集中させ、心の動揺を鎮める瞑想です。呼吸や特定の言葉(マントラなど)を対象とすることが多く、阿字観瞑想における「阿」字と月輪への集中も、このサマタの要素を含んでいます。精神の安定と集中力の涵養が主な目的です。

  • ヴィパッサナー瞑想(観行): 「観察する」という意味で、自己の身体感覚、感情、思考などを、判断や評価を加えずにありのままに観察し続ける瞑想です。これにより、物事の本質や無常、苦、無我といった仏教の根本的な真理を洞察することを目指します。阿字観瞑想が「阿」字という特定の象徴的対象を観想するのに対し、ヴィパッサナーはより広範な自己の経験を対象とします。

阿字観瞑想は、サマタ的な集中(止)と、その集中を通じて宇宙の真理や自己の本性を観ずるヴィパッサナー的な洞察(観)の両方の側面を併せ持っていると言えます。特に、「阿」字が象徴する不生不滅や空といった理を体感しようとする点は、観の要素が強いと言えるでしょう。

 

マインドフルネス瞑想との関連

近年注目されているマインドフルネス瞑想は、仏教瞑想、特にヴィパッサナー瞑想を源流とし、宗教色を排して現代心理学の枠組みで再構成されたものです。「今、ここ」の経験に意図的に注意を向け、評価せずに受け入れる態度を養います。

阿字観瞑想もまた、観想の対象に意識を集中し、雑念が生じてもそれを客観視するという点で、マインドフルネスの要素を含んでいます。しかし、阿字観には大日如来との一体化や即身成仏といった明確な宗教的・哲学的目標がある点が、一般的なマインドフルネス瞑想との大きな違いと言えるでしょう。

 

真言密教における他の行法との関係

阿字観瞑想は、真言密教の数ある修行法(三密加持:身密・口密・意密の行)の一つであり、特に意密(心で観想する行)の中心とされています。

  • 身密(しんみつ): 印相を結ぶこと。

  • 口密(くみつ): 真言(マントラ)を唱えること。

  • 意密(いみつ): 本尊(仏)やマンダラを心に観想すること。

    阿字観は、この意密の最も深遠な形態の一つであり、他の身密(特定の印を結ぶ)や口密(「阿」字の真言を唱えるなど)と組み合わせて行われることもあります。また、護摩(ごま:火を焚いて供物を捧げる儀式)などの密教儀礼においても、行者は心の中で阿字観のような観想を行っているとされます。

 

阿字観の独自性と普遍性

阿字観瞑想の独自性は、やはり「阿」字という具体的な象徴と、それを通じた大日如来(宇宙の根源的生命)との合一を目指すという、密教特有の世界観に深く根差している点にあります。それは、単なる心の平静を求めるだけでなく、自己と世界のあり方を根本から変容させようとする、積極的な霊的実践です。

一方で、心を静め、自己の内面と向き合い、普遍的な真理に触れようとする試みは、多くの瞑想法に共通する普遍的なテーマです。阿字観は、その日本的・密教的表現の一つとして、現代人にとっても深い示唆と実践的な道筋を与えてくれると言えるでしょう。私たちは、この多様な瞑想の伝統の中から、自分自身の心のあり方や求めるものに最も響き合う道を見出すことができるのです。

 

阿字観瞑想を深めるために:終わりのない探求の旅

阿字観瞑想の世界は、一度足を踏み入れると、その奥深さに気づかされ、さらに探求したいという思いが湧き上がってくるかもしれません。ここでは、その学びを深めるためのいくつかの手がかりをご紹介します。

 

指導者とコミュニティの重要性

独習も可能ではありますが、阿字観瞑想のような伝統的な修行法は、やはり経験豊かな指導者(阿闍梨:あじゃり)のもとで学ぶことが理想的です。指導者は、正しい実践方法を教えるだけでなく、瞑想中に生じる様々な体験や疑問に対して適切な助言を与え、修行者を安全に導いてくれます。

また、共に瞑想を実践する仲間(サンガ)の存在も、継続のための大きな支えとなるでしょう。高野山真言宗や各派の真言宗寺院では、阿字観道場や瞑想会を設けているところがありますので、情報を集めてみることをお勧めします。

 

関連書籍や文献からの学び

弘法大師空海の著作(『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』など)や、阿字観に関する解説書、密教思想に関する研究書を読むことは、瞑想の理論的背景や哲学的意味を理解する上で非常に有益です。知識としての理解が深まることで、実践における観想もより豊かで深みのあるものになるでしょう。

ただし、知識偏重にならないよう注意が必要です。密教では「教相(きょうそう:教義の学習)」と「事相(じそう:実践修行)」の両輪が重要とされます。理論と実践のバランスを保ちながら探求を進めることが肝要です。

 

日常生活における阿字観の精神

阿字観瞑想は、座っている時だけのものではありません。その精神は、日常生活のあらゆる場面で活かすことができます。

例えば、「阿」字が象徴する万物の根源性や不生不滅の理を思う時、私たちは日々の出来事や他者との関係性の中に、より大きな視点や寛容さを見出すことができるかもしれません。自己の本性が清浄であるという確信は、困難な状況に直面した際の心の支えとなり得るでしょう。

また、瞑想で培われた集中力や客観性は、仕事や人間関係においても冷静な判断や深い洞察をもたらす可能性があります。日常の何気ない行為の中に、瞑想的な気づきや静けさを見出すこと、それ自体が阿字観の精神を生きることにつながるのです。

 

「即身成仏」という究極の目標

真言密教の究極的な目標は「即身成仏」、すなわちこの身このままで仏になることです。阿字観瞑想は、そのための極めて重要な実践とされています。大日如来と自己が本質的に一体であると体感し、自己の内に仏性(ぶっしょう)を開花させることで、私たちは生きながらにして覚りの境地に近づくことができると説かれます。

これは、遠い彼岸にある目標ではなく、今この瞬間の自己のあり方を変革していく、ダイナミックなプロセスです。阿字観を通じて自己と宇宙の深淵に触れる体験は、この即身成仏という壮大なビジョンへの小さな一歩となるのかもしれません。

阿字観瞑想の探求は、一冊の地図を頼りに未知の大陸を探検するようなものです。そこには困難もあれば、予想もしなかった美しい風景との出会いもあるでしょう。大切なのは、探求心を持ち続け、一歩一歩、誠実に歩みを進めること。その道のり自体が、私たちを豊かにし、成長させてくれるはずです。

 

おわりに:阿字観と共に生きるという豊かさ

私たちはこれまで、阿字観瞑想という、千年以上の時を超えて受け継がれてきた深遠な智慧の扉を、そっと開いてきました。その歴史的背景、思想的根源、「阿」字に込められた宇宙観、具体的な実践方法、そしてそれがもたらす恩恵と、さらなる探求の道筋。これらを通じて、阿字観が単なる瞑想技法ではなく、自己と世界を捉え直し、より豊かに生きるための哲学であり、生き方そのものであることを感じていただけたなら幸いです。

現代社会は、情報が氾濫し、変化のスピードが速く、私たちは常に何かに追われているような感覚に陥りがちです。そのような中で、阿字観瞑想は、私たちに「立ち止まる勇気」と「内なる静寂に耳を澄ます時間」を与えてくれます。それは、外側の世界に振り回されるのではなく、自己の内なる中心軸を確立し、そこから世界と関わるための稽古と言えるでしょう。

「阿」の一字に凝縮された宇宙の真理。それは、私たち一人ひとりの内にも、本来備わっているものです。阿字観は、その内なる宇宙への扉を開き、大いなる生命の流れと響き合うための鍵なのです。

この瞑想の実践は、すぐに劇的な変化をもたらすものではないかもしれません。しかし、日々、静かに座り、呼吸を整え、心に「阿」字と月輪を観ずるというささやかな営みを続けるうちに、あなたの内には、確かな静けさと、揺るぎない力が育まれていくことでしょう。それは、まるで縁側に差し込む柔らかな陽光のように、あなたの日常を温かく照らし、生きる喜びを静かに深めてくれるのではないでしょうか。

阿字観瞑想という古くて新しい智慧が、あなたの人生にとって、かけがえのない伴侶となることを心より願っております。どうぞ、この静寂の旅を、ご自身のペースで、楽しみながら歩んでいってください。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。