ヨガの起源のお話し:簡単に、でも壮大に

YOGA&BODY-ヨガと身体

現代のスタジオで汗を流すフィットネスとしてのヨガと、ヒマラヤの奥地で瞑想する聖者のヨガ。
この二つの間には、一見すると何の脈略もないような深い断絶があるように思えます。
しかし、歴史という名の糸を丁寧に手繰り寄せていくと、そこには確かに一本の道が続いています。
それは、人間が「苦しみ」から逃れ、「本当の自分」を取り戻そうとしてきた、数千年にわたる魂の冒険の記録でもあります。

この物語は、単なる歴史の授業ではありません。
過去を知ることは、今、私たちがマットの上で何をしているのか、その意味を深く知ることと同義だからです。
どうぞ、リラックスして、この時間の旅にお付き合いください。

 

ヨガの起源から現代へ:魂の解放を求めた5000年の旅路

 

序章:ヨガとは「つなぐ」こと

まず、言葉の定義から始めましょう。
「ヨガ(Yoga)」という言葉は、サンスクリット語の「ユジュ(Yuj)」を語源としています。
これは「くびき(牛馬を車につなぐ道具)を付ける」という意味であり、転じて「結合する」「つなぐ」という意味を持ちます。

何と何を、つなぐのでしょうか。
小宇宙である「個人の魂(アートマン)」と、大宇宙である「普遍的な原理(ブラフマン)」をつなぐ。
あるいは、暴れる馬のような「心」と「身体」を制御し、一つにつなぐ。
時代によってその対象は変わりましたが、ヨガは常に、バラバラに引き裂かれたものを統合し、本来の完全性(プールナ)へと還るための技術体系でした。

では、その源流へと遡りましょう。

 

第1章:夜明け前 —— インダス文明とヴェーダの時代(紀元前2500年〜紀元前1000年頃)

 

1. 遺跡から見つかった「原初のヨギ」
時計の針を、今から約4500年前に戻します。
現在のパキスタン周辺で栄えたインダス文明。この遺跡から発見された「パシュパティの印章」と呼ばれる小さな粘土板には、興味深い姿が刻まれていました。
あぐらをかき、背筋を伸ばし、瞑想しているかのような人物像。周りには動物たちが描かれています。
これがヨガの直接的な起源であるかについては議論がありますが、少なくともこの時代に「座って内面を見つめる」という修行の原型が存在していたことは間違いなさそうです。

2. ヴェーダ聖典と「儀式」の時代
その後、アーリア人がインド亜大陸に侵入し、「ヴェーダ」と呼ばれる聖典群を編纂します。
初期のヨガ(この頃はまだヨガという名称ではありませんでしたが)は、現代のようなポーズをとるものではありませんでした。
それは、火を焚き、神々に供物を捧げ、マントラ(真言)を唱える「祭式(ヤジュニャ)」でした。

自然への畏怖、神々への祈り。
彼らは儀式を通じて神々とつながり、現世での利益や死後の安寧を願いました。
ここで重要なのは「集中」です。儀式を完璧に遂行するためには、精神を統一し、一言一句間違わずにマントラを唱える高度な集中力が求められました。
この「精神の集中」という要素が、後のヨガへと受け継がれていきます。

 

第2章:内なる革命 —— ウパニシャッドの時代(紀元前800年〜紀元前500年頃)

 

1. 外側の火から、内なる火へ
時代が下ると、形骸化した儀式への疑問が生まれます。
「外側で火を焚くことに、本当の意味はあるのか?」
一部の探求者たちは、森に入り、隠遁生活を始めました。彼らは視点を180度転換させます。
「祭壇は、自分の身体である。供物は、自分の感覚や呼吸である。そして、神は外にいるのではなく、自分の内側にいるのだ」

これが「ウパニシャッド(奥義書)」の哲学です。
外側の儀式を内面化し、瞑想によって真理を探究する。ここにおいて、ヨガは「宗教儀礼」から「自己探求の哲学」へと劇的な進化を遂げました。

2. 梵我一如(ぼんがいちにょ)の発見
ウパニシャッド哲学の到達点は、一つの強烈な一元論です。
「汝、それなり(タット・トヴァム・アズィ)」
宇宙の根本原理である「ブラフマン(梵)」と、個人の本質である「アートマン(我)」は、実は同一であるという「梵我一如」の思想です。

私たちは普段、自分を「肉体」や「名前」や「社会的役割」だと信じています。しかし、それらは移ろいゆく仮の姿。
玉ねぎの皮を剥くように、それらの表層を剥がしていった中心にある純粋な意識こそが、宇宙そのものである。
この壮大な気づきを得ることこそが、ヨガの目的となりました。

 

第3章:行動と心理の体系化 —— ギーターとスートラの時代(紀元前200年〜紀元後400年頃)

 

1. 『バガヴァッド・ギーター』:日常という戦場でのヨガ
森の中の隠遁者だけでなく、社会生活を営む人々のためのヨガも説かれました。それが聖典『バガヴァッド・ギーター』です。
物語の舞台は、血肉を分けた親族同士が殺し合う戦場。主人公アルジュナは戦うことに苦悩し、弓を置いてしまいます。
御者として彼を導くクリシュナ神は説きます。
「行為(カルマ)そのものを捨てることはできない。行為の結果への執着を捨てなさい」

結果を期待せず、ただ為すべきことを為す「カルマ・ヨガ(行為のヨガ)」。
神への信愛を捧げる「バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)」。
真理を見抜く「ジュニャーナ・ヨガ(知識のヨガ)」。
現代の私たちも、ビジネスという戦場で、育児という日常で、結果に一喜一憂しがちです。ギーターの教えは、現代人の生き方指南書としても深く響きます。

2. 『ヨガ・スートラ』:心の科学としてのヨガ
紀元後2〜4世紀頃、パタンジャリによって編纂された『ヨガ・スートラ』は、ヨガの最高教典とされています。
ここで定義されるヨガは、非常に明確で、かつ衝撃的です。

「ヨガとは、心の作用を死滅させることである(ヨガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダ)」

ポーズの美しさでも、健康でもありません。
暴れまわる心の波を鎮め、湖面を鏡のように静かにすること。それだけがヨガだと断言しました。
パタンジャリは、そのための実践法として「八支則(アシュタンガ)」を提示します。

1. **ヤマ(禁戒):** やってはいけないこと(非暴力、正直など)
2. **ニヤマ(勧戒):** やるべきこと(清浄、知足など)
3. **アーサナ(坐法):** 瞑想のための安定した姿勢
4. **プラーナヤーマ(調気):** 呼吸の制御
5. **プラティヤハラ(制感):** 感覚を内側に向ける
6. **ダーラナ(集中):** 一点に集中する
7. **ディアナ(瞑想):** 集中の持続
8. **サマディ(三摩地):** 対象と一体化する

注目すべきは、「アーサナ(ポーズ)」は8つのうちの1つに過ぎず、しかもその定義は「安定した快適な姿勢」であり、現代のような複雑な動きは含まれていなかったという事実です。

 

第4章:身体の復権 —— タントラとハタヨガの時代(紀元後500年〜1500年頃)

 

1. 否定から肯定へ
『ヨガ・スートラ』の時代、肉体は精神の足枷として、ある種「邪魔なもの」扱いされていました。
しかし、中世に入ると「タントラ」という思想が台頭します。
「肉体も欲望も、すべては神聖なエネルギーの現れである」
世界を否定して解脱するのではなく、世界(身体)を使って解脱を目指す。このパラダイムシフトが起こりました。

2. ハタヨガの誕生
このタントラの流れから生まれたのが、現代ヨガの直接のルーツである「ハタヨガ」です。
「ハ(Ha)」は太陽・吸う息、「タ(Tha)」は月・吐く息を表します。
対立する二つのエネルギーを身体の中で統合する技術です。

教典『ハタ・ヨガ・プラディーピカ』には、身体を浄化する方法、チャクラ、クンダリニー(眠れるエネルギー)の覚醒といった、身体的な行法が詳細に記されました。
彼らにとって身体は、悟りへ至るための実験室であり、神殿だったのです。
しかし、ここで目指されたのも、あくまで「瞑想に耐えうる強靭な肉体」であり、美容やシェイプアップではありませんでした。

 

第5章:大転換点 —— 近代ヨガと西洋との邂逅(19世紀末〜20世紀初頭)

ここからが、現代の私たちに直結する、非常にスリリングで、少し皮肉な歴史です。

1. スワミ・ヴィヴェーカーナンダの渡米
1893年、シカゴ万国宗教会議。一人のインド人僧侶が登壇しました。スワミ・ヴィヴェーカーナンダです。
彼は西洋世界に初めてヨガ哲学(ラージャ・ヨガ)を紹介し、熱狂的な支持を得ました。
しかし、彼はハタヨガ(身体的なヨガ)を「単なる曲芸だ」として嫌い、西洋人には精神的な哲学としてのヨガのみを伝えました。
つまり、最初のヨガブームは「ポーズのないヨガ」だったのです。

2. 身体文化(フィジカル・カルチャー)との融合
では、今のポーズ中心のヨガはどこから来たのでしょうか。
20世紀初頭、イギリス植民地下のインドでは、民族主義の高まりとともに「強靭なインド人を作ろう」という運動が起きました。
ここで、インド古来の武術やハタヨガに、西洋の最新の「体操(スウェーデン体操やデンマーク体操)」や「ボディビルディング」の要素がミックスされました。

3. T.クリシュナマチャリアの革新
「現代ヨガの父」と呼ばれるT.クリシュナマチャリアは、マイソール宮殿で、王族の若者たちのために新しいヨガのシークエンスを開発しました。
流れるように動く「ヴィンヤサ」、立って行うポーズの数々。
実は、私たちがスタジオで行っている「太陽礼拝」などの動きの多くは、この時期(わずか100年ほど前)に体系化されたものなのです。
古代から続く神秘の教えだと思っていたものが、実は西洋の体操とインドの伝統のハイブリッド文化だった。これは現代ヨガにおける最大の「公然の秘密」です。

 

第6章:グローバル化と消費社会 —— アメリカへの輸出と変容(20世紀後半〜現在)

 

1. ハリウッドとスピリチュアリティの脱臭
クリシュナマチャリアの弟子たち(アイアンガー、パタビジョイスなど)によって、ヨガはアメリカへ輸出されました。
1960年代のヒッピー文化やニューエイジ運動と結びつき、ヨガは「精神世界への入り口」として流行します。
しかし、さらに時代が進むと、ヨガから宗教的な匂いは徹底的に「脱臭」されます。
フィットネスとしてのヨガ。健康法としてのヨガ。
ハリウッドセレブが愛好し、スタイリッシュなウェアに身を包んで行う「ライフスタイル」としてのヨガが確立されました。

2. 資本主義との幸福な結婚、あるいは不幸な癒着
現代において、ヨガは巨大な産業です。
「痩せる」「美しくなる」「ストレス解消」。
これらは間違いなくヨガの効能ですが、同時に資本主義が最も売りやすい商品でもあります。
「ありのままの自分」を探すためのツールが、「理想の自分(痩せている、若々しい)」になるためのツールへと変質しました。
ルッキズム(外見至上主義)との結託。鏡張りのスタジオ。SNSでのポーズ自慢。
これらは、かつてパタンジャリが「死滅させよ」と説いた「エゴ」そのものを、皮肉にも強化する結果を生んでしまっています。

 

第7章:日本のヨガ —— オカルトからファッション、そして本質へ

 

1. 精神世界ブームと、あの事件
日本におけるヨガの歴史もまた、波乱万丈です。
中村天風による心身統一法としての導入、1970年代の第一次ヨガブーム。
しかし、1990年代、オウム真理教事件によって、「ヨガ=怪しい、洗脳」という強烈なネガティブイメージが植え付けられました。
ヨガは冬の時代を迎えます。

2. 2000年代の復活と現在の課題
そのイメージを払拭したのが、2000年代前半のアメリカ発のパワーヨガ、そしてハリウッドセレブのヨガブームでした。
「宗教ではなく、おしゃれなエクササイズ」。このリブランディングが成功し、日本でも爆発的に普及しました。
現在は、ホットヨガチェーンの台頭や、オンラインヨガの普及により、かつてないほど身近になっています。
しかし、その一方で、「身体的な効果」ばかりが強調され、哲学や精神性が置き去りにされている感は否めません。

 

終章:これからのヨガ —— ヨガへの回帰

長い旅をしてきました。
インダスの森から始まり、ヒマラヤを超え、西洋の体操と混ざり合い、資本主義の波に揉まれ、今、私たちの目の前に「ヨガ」があります。

現代のヨガは、歪んでいるのでしょうか?
ある意味では、そうです。本来の目的から逸脱している部分は大いにあります。
しかし、別の見方をすれば、ヨガはその時代ごとの人々のニーズに合わせて、柔軟に姿を変えて生き延びてきた、極めて強靭なシステムだとも言えます。

現代人が抱える苦しみは、猛獣に襲われる恐怖でもなければ、来世への不安でもありません。
情報過多による脳疲労、承認欲求による自己喪失、将来への漠然とした不安、そして孤独です。

今、私たちがヨガに求めているのは、アクロバティックなポーズができるようになることでも、宗教的な解脱でもないでしょう。
それは、暴走する思考(マインド)のスイッチを切り、ただ「今、ここ」にある静寂を取り戻すこと。
「何者かにならなければならない」という重圧から解放され、ただの生命として呼吸すること。

EngawaYogaが提案するのは、この原点への回帰です。
ポーズの美しさを競うのではなく、
難しい哲学を振りかざすのではなく、
日常の中で「手放す」ことを実践する。

歴史を知ることは、自由になることです。
「ヨガとはこうでなければならない」という思い込み(これもまたサンスカーラです)から自由になりましょう。
西洋由来の体操であっても、それがあなたの心を鎮めるなら、それは立派なヨガです。
ただ座るだけでも、そこに気づきがあれば、それは高度なヨガです。

5000年の時を超えて、バトンは今、あなたの手の中にあります。
マットの上で、あるいは縁側で。
あなたが一つ息を吸い、そして吐くとき。
その一呼吸の中に、インダスの行者たちの祈りも、中世の探求者たちの情熱も、すべてが含まれています。

さあ、荷物を下ろして。
ただ、静かに座りましょう。
旅はいつも、この「今」から始まるのですから。


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。