どこか遠くに、幸せがあると求めている場合ではない。
と思っても、求めてしまうことはあります。
人は今が辛いとどこか他のところに幸せがあると思います。
今のというところ以外に存在しないのに、求めてしまうのですね。
そういった思考性も、自分で作り出しているということです。
そして、当然ですが今というここに全てがあります。
いまここが最高に輝いている時なのです。
成功か失敗、幸せか不幸かという二元論ではないわけですね。
(インサイトマップでは、そういったどちらかという二元論的思考を外していきます)
あなたへのプレゼントは今にある
イマココという表現がありますが、この表現におけるイマココの今は時間における今ではありません。
ここというのも場所における、ここではありません。
「いまとここしかない」ということなのです。
スピリチュアルな表現でのいまここでもいいです。
あなたの存在そのものがいまここにしかないのですからね。
相対的に今が大事とか、ここでしかできないことがあるという意味合いではなく、今しかないし、ここしかないということなのです。
いまここに全てがたくし込まれています。
いまここに全て畳み込まれているのです。
いまここに全てが隠されているのです。
いまここにあなたへの最高のプレゼントがあります。
過ぎ去るものは、あなたではない
イマココしかないので、すべてが過ぎ去っていきます。(過ぎ去るものもないとも表現できます)
諸行無常です。
すべてが過ぎ去っていくのに、それを見ている変わらない何かもあります。
その過ぎ去らないものがあなたです。
退屈なことも過ぎ去っていきます。
悲しみや怒りもイライラも過ぎ去っていきます。
だから、退屈な気分も悲しみも怒りもイライラもあなたではありません。
過ぎ去っていくからです。
あなたのものではない。
過ぎ去らない、それがあなたなのです。
現状を完璧に受け入れると思考が止む
現状に対してあーじゃこーじゃと言っているのが思考です。
過ぎ去らないものはない。
思考も過ぎ去る。
あーじゃこーじゃと言っていても過ぎ去ります。
それもまた過ぎ去るということで、思考も過ぎ去っていくと、本当の解放が起こる。
あなたがあなたになります。
そして、真の喜びや至福で満たされていきます。
あなたがあなたになり、至福で満たされることこそ、本来の生きていることなのだと観じます。
終わりに:あなただと思っている人から
「頭の中の声」が自分のものではないことに気づくのは、何とも解放的ですね。
自分がいったい誰なのかはわかりません。
それではない、という表現しかとれないからです。
言葉にすると対象として生まれてしまい、自分が自分を見るということ起こってしまいます。
自分はどこまでいっても私を認識することはできない。
そういった原理になっています。
だから、私が悟るのではない、という言い方もされます。
「一体誰なのか?」と問うているものこそ私です。
”なんとも解放的な気分”を味わいたい人は、BORN TO YOG (ボーントゥーヨグ)やSUWARU、インサイトマップ、そして以下の本もオススメです。